歴史その1(縄文時代)
和菓子の歴史は古代、縄文時代までさかのぼるとされています。
当時の食べ物は気候の温暖化により、
木の実やクルミ、ブナやナラなどの広葉樹林が多く育っており、
木の実が多く採れるようになっていたので、古代の人達は野生の木の実や果物を採って食べていたようです。
栗や柿は当時から栽培されていました。
とは言え、まだ決して食べ物が豊富だったわけではなく空腹になると、
木の実や果物を石臼や石鎚などで砕いて食べていたようですが、
どんぐりなども食べられていたようです
ところが、そのままではアクが強くて食べにくため、
その木の実を紛糾して水でアクを抜いて丸め焼いたものを食べていたようです。
これが団子の始まりと言われています。
このあと、「餅」という日本最古の加工食品がうまれてきます。
歴史その2(奈良時代~平安時代)
奈良時代に仏教の伝来とともに遣唐使が唐から
「唐菓子(からがし・からくだもの)」というものを持ち帰ります。
これは、米・麦・大豆・小豆などをこねたり油で揚げたりしたものがあります。
当時は祭祀用として用いられたようですが、
この唐菓子が和菓子に大きく影響してきたようです。
唐菓子には、いくつか種類がありますが、
現代にも親しまれているのが「かりんとう」です。
平安時代には「椿餅」が紫式部の源氏物語でも登場しておりますが、
当時はまだ「砂糖」というものは存在しませんでしたが、
「甘蔦(あまづら)」という、つたの汁を煮詰めた甘味料を入れた
道明寺製の餅が椿の葉で挟んであるだけの物だったようです。
道明寺粉で作った餅に餡を包み、庭の椿の葉を摘んできてはさみました。
「砂糖」は750年頃に初めて伝わってはいますが、
広く使われるようになるのは江戸時代以降になります。
また、この時代には遣唐使や留学僧によって「茶」も渡来しました。
しかし、当時はまだ貴重な物で貴族階級や僧侶など限られた人だけが口にすることができたようです。
歴史その3(鎌倉時代~室町時代)
和菓子に大きく影響を与えるのは鎌倉時代から流行し始めた「喫茶」で
鎌倉時代に茶の湯が流行り、
室町時代にはこの茶席の世界から「羊羹」がうまれます。
これは当時の茶席で出された「点心」と呼ばれる軽食のような物の中に何種類もの
「※羹あつもの」がありましたが、
※羹:肉や野菜を多く入れた熱い汁物
その中に「羊羹」(👈羊の肉が入った汁物)がありましたが、当時は羊の肉などは食べませんから、
麦や小豆の粉で羊の形に似せて象り汁物の中に入れていたようです、
これが羊羹のきっかけになり、蒸し羊羹→寒天が発見されてから練り羊羹に変わっていきました。
その他に、この時代に「打ち栗」「煎餅」「栗の粉餅」「麩の焼き」などがあり和菓子に繋がっていきます。
その他、ボーロ・カステラ・金平糖・ビスケットなどの南蛮菓子がポルトガル人やスペイン人により渡来し、これらが現代の和菓子にも大きく影響してきます。
●「打ち栗」・・・かち栗を蒸して砂糖を加えて潰して平らにした和菓子
●「栗の粉餅」・・つきたての丸餅に栗の粉をまぶした物
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●「麩の焼き」・・小麦粉を水で溶いて薄く焼いて、芥子の実などを入れ山椒味噌や砂糖を塗った生地を丸めた和菓子
ちなみに、この「麩の焼き」は通称、「江戸のクレープ」とも言われています( ´艸`)
歴史その4(江戸時代~明治時代~)
いよいよ和菓子は江戸時代に入って大きく発展しました。
江戸時代以前の戦国時代は和菓子やお茶を楽しむどころではない時代でしたが、
それが治まり安定した江戸時代に入ってからは一気に和菓子の世界が発展します。
京都の京菓子、江戸の上菓子など多くの菓銘や工夫を凝らした和菓子が次々と生まれ、
現在食べられている和菓子の多くがこの時代にうまれました。
明治時代には西洋文化が入り和菓子の世界にも大きく影響を及ぼしました。
栗饅頭やカステラ饅頭などの焼き菓子もこの時代に多く生まれました。